ABOUT

WE WORK BIT HARD TO CREATE MORE FKIRSSING GOODS.

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こんにちは。フカーツという者です。
FKIRSSYを始めました。今は2019年9月です。FKIRSSYはフカーシーと発音します。フカースィーでもよいです。

FKIRSSYは今後ぼんやりと月に一回程度物を作って販売するつもりです。お金が続くかどうかによりますが。

2019.12

腐敗する政治、腐敗した連中。生半可な軍国主義の名残が最低な男たちを国の隅々にまではびこらせた。

僕たちは叩きのめす、それを、その為に生きているといってもいいだろう。まずは学ぶ、勉強する。遊びながらいろいろなものに、触れ、吸収し、そしてそれを、、発散させなければならない。

FKIRSSYはあなたの内なるエネルギーの放出、EMISSIONを助けます。

きっと!


2019.9↓

昔からの、ぼやっとした目標のひとつに自分のデザインした洋服のお店をやりたいというのがあった。

憧れはダブルタップスのやっていたブラックフラッグ、もしくはフィロソフィーというお店でした。通ったし、ブラックフラッグには教科書通り(まったく下手な)スケボーで通っていたのだけど、かなり前に「ブラックフラッグによくスケボーで来てた人ですよね?」と話しかけられたことがある。ブラックフラッグが閉まってから5年後くらいの話だから、結構感慨深かったし嬉しかった。まあとにかく今もWTAPSは好きです。

僕はそれで服飾学校に通っていわゆる大量生産系の洋服の会社に就職し日々働くかたわら、好きな音楽や場所、パーティー、ライブ、絵のエキシビションにいったりアートの作品集や雑誌やチラシを集めたり、服を買いまくったり、色々楽しんできました。

そんな中でさあそろそろ自分から何かをするぞ!となったのは洋服つくりではなくて、ネットテレビをやりたい、ということでした。結局ネットテレビは僕が一人でやるには難しすぎて、始められすらしなかった。実はこの、だれかれ構わずネットテレビやりたいんですよね〜と話しかけてた時期におつゆちゃんと初めて会ったな、と今思い出した。

で、しばらくしたのち、銭湯での七尾旅人さんのライブが良くて感想を書くためにライブが終わってすぐに近くの漫画喫茶でブログを開設したのが、自分の人生を色々と楽しい方向に動かすきっかけとなったのだった。

一時期は結構周りから更新を楽しみにされるようなブログができていたみたいだ。最近も、上京する前の情報源でした、など言ってくれる人がいて嬉しかった。

追い詰められるかテンションが上がりまくらないとやらない性格故、徐々にブログが更新出来なくなり、発信方法が、イベントへのジン出品、という形にいつのまにか移行していた。締切があるから出来たんですね。きっかけをくれたのは不幸の科学のみんな、加賀美健さんそしてDJミスターメロディーパイセン。

ジンは初期には原寸大のTシャツの形のものだったり、漫画だったり、プラスチック容器やゴミなどからスニーカーを作る様を紹介したものなどなど友達に刺激を受けながら色々なものを制作していたが、徐々に日記スタイルに落ち着き、2014年から、今でもたまーに作り続けている。それもTさんが色々な人に紹介してくれてデザイン雑誌のアイデアのジン特集に載ったりして、嬉しかった。

自分のていたらくさというのは本当にひどくて、今まで色々な人に期待したりしてもらったのをかなり反故にしてきてしまった。あ、くよくよしてしまった、すみません。

で、ここ数年の野望が何かっていうと、気楽な雑誌を作ること。それも、仕事に結構体力を使ってしまって気力が出なくなってきているので、本当にクオリティーにこだわらずスピーディーに作れるものを考えている。友達や知り合いからJPGを募集してほぼ無編集で1,000部をネットの印刷屋さんにポンと入稿して作り、それを30人に30部づつ送り、配るか売るように頼む。印刷代は自分が払うが原稿はノーギャラ前提、それを年4回出し続けるという浅はかなアイデア。なぜこれがやりたいのかというと、特にオルタナティブっぽい絵を中心に据えた定期刊行物が書店に並んでいないし、おしゃれな洋服屋さんにも置いていないから。一方で、様々なギャラリーで行われる展示で見るビジュアルやパーティーのフライヤー、音楽アルバムのジャケットなどにはかなり自分の感覚にフィットするイケてるものが満載。これらが、特にネット中心にビジュアルが消費されてしまいがちな流れの中で、その流れを定期的にモノとして1,000部くらいの、ある程度影響がありそうな単位で残しておきたいという欲望がある。欲望と言うより使命感的なものでもある。海外のインディペンデント印刷カルチャーの盛り上がりに刺激を受けている面も相当にある。ブレインデッド周辺や、HEADSマガジンなど。本当にうらやましく、なぜ東京でこれが出来ないんだ、とすごく思っている。だが、いざやろうとすると、人に連絡するのが苦手な自分、さらに自らが締め切りを守れないタチだという点も致命的で、当然始められていない。しかもノーギャラで頼むのがやはり気が引けまくる。大手の広告を取ってくるような気力ももちろんなく、いやはやどうしようかな、、、となっていた。雑誌については始められないもう一つの理由があった。タイトルである。何年考えてもロクなタイトルが浮かんで来なかった。ワードをクリエイトするセンスが自分には無いのだと、なかなか認める事が出来なかったが、無かった。これっぽっちも。

うだうだと仕事して遊んで暮らしていたら、なぜ人に何かを頼めないかが分かった。

自分が今何もしていないからだった。

自分が何かを突き詰めて変なことをやっていたら、なんとなく、頼まれる方もああ、こういう事がやりたいのか、とか分かりやすいはずだし、本気なのが伝わる気がする。そうか、と思い立ち初心に帰ってみると、会社では色々洋服やプリントシャツを作っているけど自分で作るのはほとんどやっていなかった。プリントTシャツは世の中に溢れ過ぎていて自分みたいな半端者が作っても意味が無い気がずっとしていたが、よくよく考えてみたら自分が作ってみたいTシャツのアイデアが無意識に色々と脳に蓄積されていた。それは、結局のところブレインデッドやブートボーイビズ、カムティーズはたまたズマーフ君のデザインのような、大胆なプリントデザインで。日本であまり無いからやりたい、という事であり、単なる真似っこというか、子供が、僕もやりたーい、ていうのと変わらないのだが、まあここはひとつやってみようと考えてみたのだが、巷のかっこいいブランドと同じように、コンセプトだったり、サンプリングだったり、ネタだったり、色々な事をカッコつけようとして考えていくと、自分が表現したい事が、実は、具体的なものではないという事実に行き当たった。

インディーのTシャツブランドと言えばサンプリングやコラージュ無しには成り立たないと言っていいほどだが、自分はコラージュに使えそうなグラフィックを集めてるわけでもなく、何か好きなレコードのジャケットをネタにしてオマージュを捧げる、というような事をやりたい気持ちもあまり無い。たぶん人へのリスペクトに欠けているのだと思う。みんなやってるしな、というのもあるし。

で、色々考えていったら、今こちらに置いてあるようなデザインに行き着いた。言葉、フォント、というようなものが排除され、サンプリングやコラージュもしていない。絵ですらない。そこにはただ、ここに三色、エイ、エイ!とデカくのっけたい!みたいな、感覚だけがプリントされている。まあこういうの、よくあるっちゃあよくあるんだけど、でも結構いいじゃんて自分で思ったんだよね。何も考えずにただ線の様子を見ればいいっていうデザインの気持ち良さもあるかもなーと思う。脳がスッキリするというか、楽というか。情報過剰な現代にも割りかし合っているのかもしれない。

因みに今後はコラージュや写真を使ったものもやっていきますが、いずれもぼんやりとしたものを作っていくつもりです。

どうか温かい目で見守っていただけたら幸いです。

で、これが軌道に乗っていったら、集まったお金で本か雑誌やシールを作りたいんですよね。さっきの話に戻りますが、で、ゆくゆくは、Supremeくらい大きいブランドになったら、将来安泰だなあ、と思いました。まあ、それと最近腐敗し過ぎてる政治状況を変えるくらいの影響力とかも欲しいかも。まあ、夢のまた夢ですが。

まあとにかくそんなこんなです。よろしく。

フカーツ